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2025

頂の景色

まずはOBOGの皆様、保護者の皆様、並びに関係者の皆様、平素より大阪公立大学男子ラクロス部をご支援いただきありがとうございます。

入替戦のとき特に、応援の力の偉大さを実感しました。

タイムアウトが終わってベンチに帰る時、前から飛んできた沢山の声援が勇気となりました。

今後とも、弊部を暖かく見守って下さると嬉しいです。私も頑張ります。



りょうがから紹介されました、4回生マネージャーの中嶋彩七です。


先日人事面談で関西にしか住めないんですと言い張り、岐阜や関東は回避したつもりです。


りょうがは入替戦でもすごい活躍でした。DFデータ取ってましたが、りょうがの欄にいっぱい線引いたのを覚えてます。彼のアグレッシブなホールドにいつもヒヤヒヤさせられて6on6楽しかったです^^ 


人生ラストのブログになるので、まず4年間1番と言っていいほど力を注いだ審判活動と、そしてチームのことについて書いていこうと思います。内容ぐちゃぐちゃですが、頑張って読んでいただけると幸いです。





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本気で頂点を目指せたことの無い人間が、本気で目指せているチームを裁いて良いのか


この1年ずっと悩みました


 私は今年ほど、学生日本一、関西制覇、Final3という言葉を聞いた年はないです


ただ審判として、目指す側ではなく裁く側に居てしまった


もちろん審判活動には本気で取り組んだし、結果が伴ったかは分からないが、それは胸を張って言える


しかし、10月の2週目まで自チームのリーグすら経験していなかった私に、


果たして彼らと同じ熱量で向き合うことは可能なのか?

彼らの思いに身を馳せることは可能なのか?


私の本気が全然足りていなかったらどうしよう


いつも仲良くしてくれる他大の同期スタッフがベンチで声援を飛ばす姿は、全くの別人に見えた


みんな最後で、今年に懸けてる。この試合が全てなんだ



私だって4回生なのに、なんだか自分がひどくアウェイに感じた






9.10月頃になると順位決定が絡む試合が増えた


私の吹いた試合が、誰かの引退試合になるかもしれない


笛とともに崩れ落ちる選手を数え切れないほど見た


彼らが有終の美を飾るために、「いい試合」とは何かを考えた




以前こんなアドバイスを頂いた


『試合の反省として、

自分のジャッジがどうだったかだけでなく

チームの立場になって考えてみてほしい』



私はずっと

あのときのフラッグは合ってたか、

チェイスは間違ってなかったか、

ストーリングのタイミングはどうかとか、

そんな事ばかりを反省に出していた


しかし、大切なのは試合はチームの為にあるということ

審判のための試合にしないこと


やりきった、いい試合だったと、胸を張って帰ってほしい



ただ、現実はそう甘くなくて、どれだけすっごい人から教えて貰っても急には出来るようにならない



審判を始めて3年目になるが、この1年は正直それ以前の記憶が霞むくらいしんどかった



トップリーグや交流戦に始まり、計50試合以上を走らせていただいた


私を信じて派遣して下さることを本当にありがたいと思うと同時に、人生を掛けたチームの熱にあてられることが多くなった


試合に飲まれる感覚のようだった


自チームの事情でリーグ独特の気迫を体感出来ていなかったのもあるが、今年は1部2部共に混戦だったためどの試合も最後まで展開が予想できず、ジャッジの与える影響が大きく見えると感じた


毎試合吐きそうで、負けた選手の顔を見るのも辛くて、勝敗は全て自分のせいのような気がして、初めて派遣に行きたくないと思った



結論、


彼らと同じ熱量で向き合えるのか?

私の答えは否です。

経験した者にしか見えない頂の景色は必ずあると思う。



彼らの思いに身を馳せることは可能なのか?

これは可だと思います。

私が頂きを見たことの無い人間として彼らに出来ることは、常にチームにとってどうだったかを考え続け、試合を審判のものにしないことです。

彼らの土俵に立ってラクロスと向き合うことです。



それでも、私は今年目標としていたゼブラ賞には届かず、Pride of Lacrosse賞はなぜか消失し、結果としてチームには何も残せませんでした。


自分のことで精一杯で、チームの立場で考える思考を掴むまでに至れなかった自分の不出来以外の何者でもありません。


名無しで終わってしまった4年間ですが、こんな私でも良ければ練習試合でも何でも行くので、マネージャー足りない中大変だと思うけどいつでも頼ってください。






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10月に入ると東西問わず数々の大学の引退ブログが着々と更新されていった


その時期に引退するのは早くからリーグが始まる上位校になるのだが、沢山のブログで、

『もっと部活がしたかった』とやるせない思いを綴っていた


私は引退してもきっとしばらくは走るだろうし、来年これやって欲しいみたいな連絡も来たりして、


この先もラクロスに関わると思っていたからなのかなんとなく入替戦で終わりな気がしなかったし、あんまり引退を寂しいと思うことは無かったような気がする



今になって、そう思ったことを後悔しています









去年の追大戦前、中々勝てない試合が続いた時、

本人は覚えてるか分からないけどプレイヤーからごめん、と言われました


そして今年、入替戦中もごめんって言われたし


入替戦後もほんまにごめんって言われて





あーめちゃくちゃ情けないな自分


そんなに不安そうな顔してたんかな


マネージャーなんて盛り上げてなんぼなのに


謝らせたいわけじゃないのに


マネージャーが負担になってどうするんだと




私は22が3部でプレーしてラストイヤーを終えてしまうことが結構ショックで、


去年3部に落ちた時から、私には審判がある、と言い聞かせてそのショックから目をそらそうとしていた



だけど入替戦泣きながら応援してる自分が居て、やっぱりチームが1番だと思い知らされた




りょうがが、22の中で私が1番ラクロス好きかもと言ってくれたけど、思えば私がラクロスを好きになったのは22のみんなのおかげです



1回生のとき、ほんまにサマー優勝しちゃうんじゃないかってくらい負け無しで、目を輝かせてプレーしている姿を見て、私もこのスポーツが好きになりました




私が今ラクロスを楽しめているのは、みんなのラクロスが私を楽しませてくれたからです




最後の試合もそうです。


あんなにいいものを見せてもらって、すごく楽しい時間でした



負けでも「いい試合」というのは存在するんだと実感した試合でした



執念体現できたね。本当にありがとう。














ヒーローインタビューで、

「ここまで来れたのは支えてくれた皆さんのおかげです」

と答える人が不思議だった


そんなの努力した自分のおかげに決まってると思っていた



けれど引退してしばらく経ってみて、自分の努力だけで成し得たことなんて何一つなかったと思う


頑張るきっかけをくれたのも、頑張る場所を用意してくれたのも、育成してくれたのも、すべて周りの人達だった


自分の努力なんて他人の支えの上に初めて成り立つもので、努力自体贅沢なことだと思う



頑張りたいだけ頑張れる

悔しい思いが出来る

次がある



それがどれほど恵まれていることなのか今やっと分かりました



これからやらねばいけないことは、この恩を精一杯返すことです


後輩たちの活躍も祈ってます!











これでブログ終わりたいと思います。

(引退式の写真ですが、この崩れた感じが良くてこれ使おうと思っていたらどらけんに先越されてしまいました。)



次は頼もしいトレーナーはるかです!

はるかは来年も再来年も関西にいるそうなので第2の樋口さんを目指してもらえたらと思います。


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