初めにOBOGの皆様、保護者の皆様、並びに関係者の皆様、平素より大阪公立大学男子ラクロス部をご支援いただきありがとうございます。
今年は皆様のご期待に結果として応えられなかったこと、本当に申し訳なく思っています。より上の舞台で戦うという目標は、必ず後輩たちが達成してくれると信じています。これからも応援の程宜しくお願いします。
かずやから紹介を受けました背番号8番MF亀丸育矢です。頼りになったと言われて率直に嬉しいです。OFリーダー務めてくれてありがとう。
引退ブログということもあり最後に自分の思いを伝える場所なので頑張りたいと思います。拙い文章になると思いますが最後まで読んでいただけると幸いです。
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昨日かずやも言ってたけど
「あなたはラクロスが好きですか?」
と聞かれたらみなさんはどう答えますか?
A.自分は「どちらかというと好きではない。」
と答える。
びっくりした人もいるだろう。昨日のかずやのブログとはこれから少し違うことを言うかもしれない。
22は全員ラクロスが好きというイメージが染み付いてると思う。
しかし、自分がラクロスというスポーツが好きではないのは事実だ。
別に大して嫌いというわけでもないが。
理由は至ってシンプルで、仲間に理由もなく殴られるから痛いし、毎朝4時5時起床でしんどいし、荷物多いし、大してめちゃめちゃ運動神経がよくて順応できてるわけではなかったから。まず自分は接触スポーツにあんまり向いてない。今でも正直、野球の方がスポーツとしては好きだと思う。
確かにラクロスが大好きな人はただがむしゃらに夢中にやって自然に上手くなってると思う。
でも、なぜこんな自分がラクロスを最後までモチベーション高くできたのか、それは
「このチームで」ラクロスをすることが好きだから
これに尽きる。
OMULAXの先輩、同期、後輩
このメンバーとなら目標を達成できる。
そう信じていたからこそモチベーション高く最後まで走り抜けることができたと思っています。このチームで貢献して勝ちたい。この気持ちがもっと上手くなりたいという向上心、点を取りたいであったり日々の練習が楽しくなるような要因に繋がったんだと思う。
そんなチーム大好き自分ですが、個人としての
4年間を振り返りたいと思います。
▪️1回生
とりあえず体育会には入りたくて、はじめてラクロス部の新歓に行ったとき19がつくりあげる先輩達の雰囲気が好きで1回練習行ってみただけで、その後はるさんしょうごさんりょうたさんに連れて行ってもらったボンベイでもうほぼ入ります。的なことをいい次の練習(まだ3月)では胴上げされていた記憶は鮮明に覚えてます。正直ラクロスは就活に強いっていう理由も入部の理由のひとつにあった。(結果体感あんま分からんけど笑)今までほぼスポーツ経験としては野球しかやってこなかった自分にとってラクロスの世界に飛び込むことは新鮮でシュー練をはじめとしてのめり込んでいた。最初の方(メットオンするまで)は朝練と夕練どっちも参加して自分の技術を磨いていった。
しかし、メットオンしてからというもの、かずやとかそうへい、どらけんを筆頭に同期の身体能力が高く自分がいかに不器用でセンスがないかを思い知らされた。チームで1番最初に入部してメットオンするまでは1番上手いと言われてたのにメットオンしてからはぜんぜんだめだった。
そして迎えたサマーでは1ヶ月前に骨折したということもあったが、ウィンターでも全く活躍できず。
シンプルに個人としてもチームとしても悔しかった。この悔しさを経験したからこそ来年こそはチームでの役割を見つけて貢献したいという思いが強く芽生えたのかもしれない。
▪️2回生
OFメンバーが7人しかいなかったからリーグ戦に出ないといけない緊張感があったけどなんとか自分の当時強みであった右スタ、ランシューを練習して伸ばした。リーグ戦で3点取ることができて点を取って少しでもチームに貢献することの喜びを実感した。20のおかげでのびのびとプレーさせていただいたことには本当に感謝しています。特に上入替の京大戦で決めたシュートは一生忘れられません。
▪️3回生
1番苦しかった。
人生均してみても1番苦しい1年だった。
唯一嬉しかったのは、東進バイトで生徒だったけんすけがこのチームに入ってくれたことぐらい。試合に毎回スタメンで出させてもらっていたのに活躍できない。結果的に得点は0点。OFサブリーダーも任されていたのに不甲斐なさすぎた。主務渉外とかポジリとか委員会とか様々な責任があったがただの言い訳にすぎなかった。2回生の自分に慢心していたわけではないがシンプルに自分の技術不足を痛感した。
右ショットも徐々に遅くなってドラケンにエキストラの右横を譲ったとき、自分の強みをなくしたと思った。なんもいいところないやん。って思ってけっこう気持ち的にもキツかった。
結局自分が全く活躍できなかったせいでチームは3部降格。自分もチームも変わらないとだめだとここで本当に危機感を覚えた。遅い気づきだった。
▪️4回生
とにかくチームの昇格のため何ができるかを模索した。その中で1番自分で考えたことは左のショットを伸ばすことだ。エキストラの左横の穴を埋めるというモチベーションからだ。
(他に考えたことの1つは主務として他団体との信頼関係を構築して芝グラウンドを獲得すること。主務2年目にして結果として週2.3、リーグがある週は毎日芝グラを使わせていただいたことは本当に他団体の皆様には感謝しています。)
話を戻します。
この1年間はかなり左アンダーを研究した。
シュー練でも左ばっか、壁でも週5で毎日30分ほどあるとしたら8割の時間は左でずっと壁当てしてた。(インスタの壁アーカイブ振り返ったらほぼほぼ左でしか壁打ちしてなかった笑)
結果的にエキの左横を任されるようになり、リーグ戦でも練習してきた左アンダーでの得点ができて、他大のスカウティングにも8番は左利き、なんでも器用にこなすと言ってもらえるようになるまで成長した。
しかし、チームとしては3部残留。
入替戦では全然活躍できなかった。最後の4Qチームが勢い乗ってきたときにまた足を攣り、その影響でパスミス。また1点差で負けた。
後輩にも先輩にも非常に申し訳なかった。
今までの人生で1番泣いた。本当にこの1年間この日の為だけに賭けてきたから。
でもこの経験は無駄ではないと今ブログを書いて振り返って思ったし、社会人になってもこの経験を活かして活躍していきたいと思えるようになった。
個人としてはMVP(まだ信じていません)とベスト10といったこれ以上ない結果をいただいて嬉しかったのだが、それ以上にこのチームが好きだったから後輩に上の舞台を残せなかったことが悔しい。ごめんなさい。
▪️総括
個人としての話になるが、とにかく努力すれば最後には花開くことを自分が証明した気がする。3回生の時のリーグ戦で0点だった人が次の年にMVPとベスト10を取るなんか誰が想像できたであろうか。
これがラクロスの1番面白いところなのかもしれない。みんな大学生からはじめる。スタートラインが一緒だから成長曲線は人それぞれ。(硬式の大学野球とかだったら急に花開くことは希少な世界だと思う。)自分はその曲線が曲がりまくってたかもしれないけど、信じて最後まで続けていたら今までできなかったことができる。自分は左のショットで4回生になるまで決めたことなかった。けど信じ続けて努力したことが結果として出たことで証明できた気がする。
ここで自分のポリシーを1つ紹介する。
「せっかくやるならいやでも本気で向き合え。」
就活でも恋愛でも勉強でも遊びでも、チームで決められた自主練(壁、筋トレ)もそう、せっかくやるなら結果が出なくても考えて本気でやれば後々後悔しないし人間として諦めることも時に大事だと思うけど中途半端になることが1番ださい。
部活のいいところはそこだと思う。
結果がたとえ出なかったとしても最後まで何かに熱中できた経験、体育会に一歩踏み出した経験を学ぶことは絶対将来何かにつながると思う。一歩踏み出したら最後まで目標を持って結果出なくてもやり遂げて欲しい。だから自分はラクロスも最後まで本気で向き合えた。
結局1番後輩に伝えたいことは引退式で言ってしまったのだが、
「最後まで何か自分でモチベーションを見つけて本気で向き合って継続してほしい」
ということ。
モチベーションの内容はなんでもいいと思う。
・練習終わりのバー当てで先輩に買ってジュース奢ってもらう
・しゅんやのサイコパスdayを楽しみにする
・りょうの練習中の発狂を聞きたい
とか本当に小さくてもなんでもいいからラクロスに対して向き合おうとするモチベーションを見失っている人は何か1つでもいいから見つけてほしい。絶対どこかには転がっているはず。
後輩達には全員の気持ちのベクトルを前に、あと1点の詰めが甘い部分を見直して2部昇格、その先の1部昇格を成し遂げて欲しいです。
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ここからは感謝コーナーです
・コーチ陣
OFのコーチなおやさん、ちひろさんは特にありがとうございました。2人から吸収する技術、アドバイスは本当に説得力があって自分を成長させてくれるきっかけになりました。
なおやさんは3年間、ちひろさんは4年間関わってくださったのに結果を出せなくて申し訳ないです。また飲みにいきましょうね。
ラガさんも去年の冬にいくやはもうちょっと思うことを発言していった方がいいというアドバイスが刺さり、自分としても発言して上手くなるきっかけになりました。1年間という短い期間でしたがありがとうございました。
ひぐちさんも毎回の体のケアありがとうございました。ひぐちさんがいなかったら入替戦も最後まで試合に出れていません。試合中1番迷惑かけた存在だったと思いますが本当に感謝しています。ありがとうございました。
・マネージャー
本当に自分たちを支えてくれてありがとう。4年間楽しいことも苦しいこともあったと思うけど自分は公立大のマネージャー組織を誇らしく思ってます。
さなまこは審判でチームのために走り続けてくれたし、はるかは毎回足攣る自分のテーピングを巻いてくれたし、はるてぃは広報で自分の写真をよく使ってくれたし、みうはマネージャー、チームの顔として責任多い仕事もこなしてくれてありがとう。後輩マネのみんなもありがとう。
・同期
会長
入部当初、少し距離を置いてて申し訳なかった笑、この4年間で心身プレー共に成長した会長の背中はでかくて信頼できた。チームの顔として大変だったと思うけどキャプテンやってくれてありがとう。これからもいっぱいいじらせてください。
そうへい
きみが1番同期でおもしろいし、ラクロスのセンスある。入替戦でのビハインドシュートまじで痺れた。毎回のゴールパフォーマンス画録してまうほどおもしろかった。
個人的に1番好きなのは公立大の硬式野球側のフェンス張り付くやつ。
りょうが
りょうがのdfには相当チームも助けられたと思う、ショーディーであのオフボール能力はまじですごいし頼りにしてた。入替戦も1番活躍してたな。ラクロス関係ないけど個人的にりょうがが1番同期で腹黒いと思ってます笑
まさき
まさきとは去年の2月一緒に武者行って、秋葉原で飯食ったことが1番思い出やな笑
まさきのFO手元強すぎて安心してポゼは絶対うちが取れると思わせてくれた存在です。度々チームを救ってくれてありがとう。
かずや
かずやは真似したくても真似できない存在やった。足速すぎるしダッチキレキレやしショット早いし顔もかっこいいし4年間で何も勝てるとこなかった。悔しい。
エースとして最後までプレッシャー負わせてごめん。入替戦でかずやともやと3人でDF崩す22OFの攻めを楽しくできたこと、最高の思い出です。これからもよろしく。
ともや(ドラケン)
特に筋トレやけど何かに一途に熱中できる姿は本当に尊敬。決定力はチームで1番やったな、龍谷戦は本当にありがとう。なんか知らんけどラクロスでもプライベートでも頼りやすい存在やった。これからもよろしく。
追記
最後入替戦のスタメンコール
自分がこれまでポジションの性質上毎回応援団の花道くぐれなかったけど、最後にATスタメンに抜擢してくれた同期のみんなには本当に感謝してます。本当にありがとう。最高の思い出です。
・後輩(特にオフェンスメンバー)
23、君たちに上の舞台を用意できなくてごめん。
今年1年間個性派揃いの22に文句を言わずについてきてくれてありがとう。
来年特にしゅんやはプレッシャーあるかもしれんけど他のみんなはしゅんやだけにならずに対等に支えてあげてください。
来年はみんな注目してるけど特にだいきとひろき(自分の3回生のときと似たような経験してるから?)特に注目してるよ。期待してます。頑張ってね。
最後に両親
自分のスポーツしてる姿を観にこようと、熱心に準備して高校生の時からどれだけ外が暑くても寒くてもほぼ毎試合応援にきてくれて本当に嬉しかったです。
特にお母さんは毎回足攣る自分を心配して、攣り薬とか攣らないように塩分多めにした食事とか毎回用意してくれてありがとう。本当にたくさん支えてくれてありがとう。
結果が出なくてしんどい時期でも1番自分を応援してくれてありがとう。これまでたくさん支えてもらった分、恩返しします。
ゴールパイプを電車で持って座ってたら両隣の人たちが逃げていく日々も
朝の梅田で阪急から御堂筋線の3.4分の乗り換えでいつも同じルートで早歩きして誰が1番はやく着くかみたいなことを自分で勝手にしていた4人のおっちゃん達と戦う日々も
試合に行って足が攣ってしまった日の帰りの車の運転で高速でもう一回足が攣って本当に事故りかける日々も
最高のチームメイトと週5会う日々が
終わってしまったことは寂しいけど、
正直何かこのチームにどこまで還元できたかは分からないけど、
最後まで個人としてはやり切ったと思うのでラクロス人生の4年間に悔いはあんまりないです。
まさに美しい日々でした。
最後にこの4年間で1番のお気に入りの写真を添えて終わりとします。

4年間自分のラクロス人生に関わってくださった方、ありがとうございました。
#8 亀丸育矢
次はともやです。
彼は最後の入替戦あばらのひびを負いながらも執念で出場して点を決めてくれました。4年間ありがとう。

