まず初めに、OBOG・保護者の皆様、並びに大学関係者の皆様平素より大阪市立大学男子ラクロス部へのご支援・ご声援を賜り誠にありがとうございます。
そして、こうやってブログを書く機会を忙しい中作ってくれたあゆち、ありがとう。
僕のお気に入りの黄土色のスキニーをダサいと言ってくるきょうちゃんから紹介されました、やまゆうです。
みんなのパパという紹介がされましたが、残念ながら現実にパパになれる見込みがありません。独身貴族まっしぐらですが強く生きたいと思います。
半分は自分の覚悟を示すため、もう半分は部員のモチベーションに繋がればと思って書いてみました。
少々長いですが、最後まで読んでいただければ幸いです。
皆さんは針のはかりって知ってますか?
今はほとんどデジタルになって、中には針のはかりなんて知らないという人もいるかもしれませんので、下に写真を貼っておきます。こんなやつです。
このはかりが僕のおばあちゃんの家にあって、小さい頃はこの上の天板をおもっくそ抑えるという遊びをよくしていました。
実はこのはかり、残念な点が一つありました。
針のはかりって一定の重量を超えたら二周目に入るので、あまりに重いものはまわった回数分足し算をする必要が出てきます。子どもの頃の僕はこの針を何周させられるかを更新するために、何回も全力でこの天板を押していました。
つまり、はかりを見るだけでは正しい重量をはかれず、その場所につくまでの過程をしっかり見ておかないといけないわけです。
はかりの話から始まったこのブログ、何の話をしたいかというと、努力のお話をしたいのです。
人が努力を評価するとき「努力が大事論」と「結果が大事論」の戦争が必ず起きます。
結果以上に努力が大事、継続することが大事、まず取り組んだことが大事という人がいる一方で、結果がすべて、過程は関係ないという人もいます。
別にどちらが正解だということを言いたいわけではありません。たけのこ派ときのこ派のように、きっとこの戦争には終わりがないと思います。
ちなみに僕は結果論派です。ここから先は結果論過激派の僕が考える、努力と成果について少し書いてみようと思います。
先に言っておきますが、本当に個人的な見解です。正しい正しくないの話ではなく、あくまで僕の意見を書くだけなので、その点を踏まえたうえで先に進んでください。
他の人が自分を見るとき何を見るでしょうか?
僕は「結果」だと考えています。
なぜか?
それは一番簡単に見えるものであり、そこしか見えないことが多いからです。
例えば、僕ら一般人は芸能人に憧れ、生まれ変わったら芸能人になりたいだったり、この顔に生まれたら人生違っただったりと、画面を通してしか見えてないその人のほんの一部を、その人の全てであるかのように捉え、憧れます。
これこそ結果しか見えないことの典型的な例です。
きっとその人は有名になるためにとんでもない努力をしていると思います。けどそれを僕らが見ることは出来ないし、そもそも想像しようとする人も多くありません。
要はよほど親しい人でもない限り、他人の中の自分の人物像を作り上げる要素の大半は結果なわけです。
だから僕は人に認めてもらうためには努力ではなく、結果が重要だと考えます。
では努力が必要ではないかと問われたらそういうわけではなくて、他の人に認めてもらうために、他の人が想像できないくらいの努力をしていく。その努力を積み重ねて、積み重ねて、死に物狂いで生み出すものが「みんなに認められる結果」だと思います。
僕はこの努力を「はかりしれない努力」と言っています。
嘘ですこの文章を書くときに思いつきました。
さっきのはかりの話に戻しましょう。はかりの目盛りは必ずしも正確な場所を指すわけではありません
1周目で針が指している1kgも、3周した後の1kgも目盛りだけ見ると全く同じです。
が、見えている結果が一緒でもそこにたどり着くまでに何周したかは目盛りからは読み取れません。
努力と結果も一緒です。
残念ながら自分の努力はすべて伝わるわけではなくて、結果の部分がまず伝わります。
でも、努力をしなければ針は動かないし、努力をしても結果が出なければ評価は0とは言わずともそれに近い数字に戻ります。
結果が出るまで何度も努力し、何度も失敗し、少しうまくいったと思ってもまたふりだしに戻り、そのたびに評価は0となり、、、、、、、
何度も繰り返し、何周もした先に、誰が見ても納得する結果が残せると思っています。
はかりのように何度も挑戦し失敗し0に戻りを繰り返し、途中で逃げたくなっても諦めずに努力を続け、たとえその努力が見えなくても結果で示す。
これが「はかりしれない努力」です。
もちろん努力を大切にする人を否定するわけではありません。たけのことキノコと一緒です。どっちも正しくも間違ってもいません。
ただ、結果論過激派の僕としては、努力を認める=自分の正当化 だと感じてしまいます。
僕は今年、プレイヤーをやめ、ASとして、幹部として、裏から部に関わる決断をしました。
逃げだという人もいるでしょう。納得してない人もいるかもしれません。僕だけが特別扱いのような状態になることに不満を覚える人もきっといるでしょう。
だから僕は結果で示そうと思います。
全員を納得させるような圧倒的結果を残す。
そのために誰よりも努力し、誰よりも結果を残し、誰よりも部に貢献する。これが僕のやるべきことであり、覚悟であり、決断を下した責任だと思っています。
この話を踏まえたうえで、部員のみんなに少しだけ、自戒の意味も込めて、自分のことを棚に上げて言わせてください。
みんなは面談のときに「勝因になる」「活躍する」「点をとる」こんな目標を言ってくれました。
この目標に対して取り組めていますか?
目標で言ってくれたことは想いの強さはどうであれ、少なからず自分が成し遂げたいと思っていることだと思います。
が、そこに対して全力で取り組み、本気で目標を目指せている人が、現状そこまで多くないのでは?と感じてしまいます。
「就活が~」「バイトが~」「予定が~」「体調が~」
そんな、さも仕方がないかのような言い訳を並べて逃げまくって、居心地のいい場所でずっとぬくぬく過ごして、、、
そんな「自分なりの努力」の先にきっと自分の目標はないと、僕は思います。
別に血反吐を吐くまでやれとは言いません。が、せめて、自分で掲げた目標くらいは達成しようよ。
さっき言った通り、人は努力以上に結果を見ると思っています。
「なんで認めてくれないだ、、、」「いつまでたっても結果が出ない、、、」
そんな思いを持つ人へ。
「自分なりの努力」ではなく「目標を達成するために必要な努力」を
「認めてもらうための努力」ではなく「結果で信頼されるための努力」を
今一度、自分の努力について、そして、ラクロス部員としての関わり方を、この時間がある自粛期間で考えてみてください。
ここまで言って結果を出せなければ、それこそ特大ブーメランで一番恥ずかしい思いをすることになりそうです。これでもう逃げれなくなりました。
正直この文章を出すか、最後の最後まで悩みました。
でも、これが僕なりの覚悟です。逃げ道をふさいだので後は前に進むだけです。
頑張ります。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
部員の皆さんにはこのブログが今後のモチベーションに繋がれば、OBや父母の皆様をはじめ、日頃から男子ラクロス部を応援していただいている方々とっても何か一つ、学びや気付きを得られるきっかけとなっていれば嬉しいです。
次はラクロス部でなければ間違いなく知り合うことがなかったであろう、りょうすです。彼と僕は陰と陽、月とすっぽん、川田宗大とチェホンマンみたいな関係です。
僕とはまた違ったブログが見れると思ったのであしたも見てください。