2022年度 副主将を務めさせていただきました、塩田佳佑です。
まず初めに、日頃よりOBG、保護者の皆さま並びに私たちに関わる皆様に大阪公立大学男子ラクロス部をご支援いただきましたことお礼申し上げます。
コロナ禍を通じて、周りの方々の支えなしには私たちは活動できないことをつくづくと感じさせられました、ありがとうございます。
さて、我らが誇るパッション系MGリーダーの奏より紹介預かりました。
奏率いる'22omulaxのMGは確実にチームを、そして僕も含めて目の前の1プレイヤーを大きく動かす要因になっていました。
練習に集中できる環境を整えてくれたこと、体づくり促してくれたこと、怪我人メニューしてくれたこと、ルールに詳しくないプレイヤー達に試合基準のルールを浸透させてくれたこと、スカウティングや日頃の練習のデータまとめてくれたこと、反省してる間に整地してくれたこと、ボール探してくれたこと等々、数えきれないけど本当にありがとう。みんな勝因になってました。
そんなマネリーダーに圧をかけられて、かいちにもなんか言われてどう書こうかまとまってないままですが、ラストブログ始めます。
Q.あなたは周りの人からよくどんな人だと言われますか?
A.私は周りの人から「優しい人」だと言われることが多いです。小学生の頃、周りの人から(モテたかったが為に)優しい人だと思われたいと思いました。、そして、何か言動をする前に相手がどう感じるか?どうした方がいいか?を考えてから言動することを意識していました。小学生の頃からそのように意識していたので今では無意識のうちに、相手に優しいと思われる行動ができており、その結果「優しい人」と言われることが多いのではないかと思います。
就職活動のときに実際にどこかの面接でこんな感じで話しました。これは盛ってるとかなく事実を話したつもりです。
周りの人から自分はどんな人かと言われる機会は数えるほどしかないけれど、その数回の中でも「優しい」という風に言われたことが多いです。
しかし、それと同じくらい言われること、
それは、
「何考えてるかわからん」
確かに。と思う人も多いのではないでしょうか
そう思われる理由は、22年間生きてきた自分自身も最近やっと気付いたのですが、
僕は常に周りの目を気にしながら生きていました。
これはもう意識してるわけではないです、無意識にです。
だからシーズンが終わった今になって、今シーズン始まった時の自分が何を考えていたのかみんなが知りたがっているのでしょう。
全く隠していたつもりはありませんが、無意識のうちに覆い隠していたのでしょう。
今回のブログでは包み隠さずこの4年間何を考えていたのか振り返る場にさせていただきたいと思います。自分語りで気を悪くする方もいらっしゃるかも知れません。申し訳ございません。
気を抜くと、副主将っぽい、4年間やり切った4回生っぽいことを書きそうですが、ありのままを綴りたいと思います。
1回生
しもさんやみなみさんが熱心に新歓してくださり、
「4年後に本気で打ち込むからこそ見れる、バイトやサークルでは味わえない景色を見にいく」
そう決心してラクロス部に入部しました。
入部してから新人戦までは順風満帆で、
サマーではそれなりに活躍できたし、
何より19みんなで本気で「勝ち」にこだわってたあの期間は充実していました。
しかし、ウィンターで神戸に負けて新人戦が終わった瞬間、自分の中で何かがプチッと切れました。
今でも何かはわからないけど、
あのときはただただ、ひろきさんやまさしさん達に対して、あんなにもしてもらったのにっていう申し訳なさばかりで、悔しいであったり、次こそは!みたいな気持ちにはなぜかなりませんでした。
この日、自分の中に自分の知らない自分が生まれた瞬間でした。
それからコロナが始まり、2回生、3回生
まったくと言っていいほどラクロスに対するモチベーションがありませんでした。
中高の部活ではモチベーションが下がるみたいなこと考えたことすらなく、
頑張らないといけない場面で頑張ろうと思えない自分がいることが理解できませんでした。
そんな中でも、時は過ぎ去り
何度も辞めたいと思いましたが、
回生リーダーが辞めるなんてありえない
回生リーダーやのに育担やのにやる気ないなんて思われたらいけない
そう思い、
練習はやる気ある風に頑張ってたつもりだし、
自主練も頑張ってる風にやってたつもりだし、
筋トレもジムに契約して通ってたし、
コロナで活動できない時も、人をモチベートする側の雰囲気出して面談してたし、
そうやって、自分の気持ちに嘘ついて
回生リーダーはこうあるべき、
育担はこうあるべき、
みたいな義務感で部活してました。
そんな気持ちなら辞めれば良かったっていうのが正論だと思います。けど当時の自分にその選択肢はなかったし、やりきれてるつもりでした。
幹部も育成もサボっていたつもりはないし、
色々考えて、工夫してやれること最大限やってきたつもりです。
そうして過ごしているうちに、義務感で部活してる自分が本当の自分になってました。
自分がモチベーションないっていう認識もなくなってました。
そして、4回生
ちょうど1年前に
「けいすけじゃなくて、たくじに付いていきたい。」
そう言われました。
衝撃的でした。
自分の中では、
良い回生リーダー
良い育成担当
の塩田佳佑だと思ってました。
だからこそ、まったく状況が理解できなかったし受け入れられるものではありませんでした。
あの日、ムネリンと話して、また1人で夜考えてやっと気付きました。
これまでやってきたことは、
周りの目を気にして、自分を取り繕って
自分の理想になりきっていただけで、
全部自己満だったことを。
それから
回生リーダーが主将ではなく副主将
という状況を受け入れてからは
意外とすぐ気持ち入れ替えれました。
状況は変えられない。
やれることやるしかない。って
あの日、言いづらかったであろうことを
真正面からぶつけてきてくれた同期には感謝しかないです。ありがとう。
「けいすけにはもっと自分と向き合ってほしい」
っていうケイタの言葉に後押しされ
何で部活に入ったのか?
これからどうなりたいのか?
そのためにはどうしなければいけないのか?
を考え直しました。
1、2回生では自分がひたすら上手くなることを考えていました。3、4回生になって視野が広がり周りのことを考えることができるようになりました。
みたいな感じのことを書いているブログを部内でも部外でもよく読みます。
しかし、自分は逆転してしまっていました。
役職の仕事やら、バイトやらを言い訳に
自分のことから目を逸らし続けて4回生になってしまいました。
遅すぎますが、4回生になってやっと自分と向き合う日々を始めました。
圧倒的に自分に足りないもの
それは、
プレイヤーとしての技量
やるべきことは、
それを向上させること。
プレイヤーである以上、
プレー以外のことをどれだけ頑張っていたとしても、結局は如何にプレーで示せるかが1番大切である。
勝負の世界である以上、そうなのかなと思います。(完全に持論ですが)
だから、3回生までの自分はプレー以外は頑張ってたけど、そもそものプレイヤーとしての技量が備わってないが故に説得力がなかったのです。そう思います。
上手くなり方なんて、この時代いくらでも転がっているし、みんな知ってると思います。
あとは、やるかやらないか。
これに尽きると思います。
ゆうやさんだって、たくじだって、この前の閉会式で表彰されてた人たちだって、やることを誰にも負けないくらいやってたのでしょう。
限られた自分がラクロスしてる時間、やれることやるだけ。
そう思いリーグ期間過ごしてきました。
結果は、
チームは2部リーグ4位に終わってしまったけれど、
少しは自分自身結果残せたのかなと思います。
同志社戦、勝った瞬間、自分自身が追い求めていた景色を見れた気がします。
4年間やってきたことは間違いじゃなかったなって今なら思えます。
なんか、どう締めて良いかわかりません。
後輩たちに何か為になること書ければ良かったのですが、書けませんでした。ごめんなさい。これがありのままです。
けいたがこの前、ブログ書いた後後輩と顔合わせるの恥ずかしいって言ってきたけど、僕の方が恥ずかしいです。
自分の中に知らない自分がいるとか、
実はりゅーせーよりサイコパスは僕だったかも知れません。
どーして良いかわかりませんが、
最後に両親、先輩、後輩、最高の同期、そして関わってくださった皆様に感謝を述べて終わりにさせていただきたいと思います。
ありがとうございました。
皆様の支えなしに僕のこの4年間はありませんでした。感謝しています。
始まってみればあっという間のブログリレー。
みんなの普段見れない一面が知れて毎日読むのが楽しみでした。
最後を飾るのは
我らが主将 たくじです。
たくじには一言
ありがとう
2022年度 副主将
#14 塩田佳佑